翌慶応元年には
巣鴨から滝野川の大砲製造所予定地まで、全長744間(約1350m)の新堀(王子分水)が開削されます。結局このプロジェクト、大砲製造にまで至ったかどうかは不明ですが、重要なのは千川上水を工場用水として利用しようとしたことで、明治 に入り ... それも、昭和43年(1968年)都営地下鉄工事で
六義園への給水停止、同45年都水道局が取水中止、同46年大蔵省印刷局が工業用水道に切り替えと、昭和40年代中頃までで皆無となり、千川上水の歴史はひとまず終わることになります。 ......
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