を開催中です。(~7月7日)
講演会「棟方志功と萬鉄五郎」
を開催します。(6月9日14:00~)
・7月8日~7月12日は展示替のため、臨時休館いたします。
・「詩人の美術 瀧口修造のシュルレアリスム展」を開催します。(7月13日~ 9月23日)
会期/平成25年4月21日(土)~7月7日(日)
詩人の美術 瀧口修造のシュルレアリスム展
会期/平成25年7月13日(土)~ 9月23日(月・祝)
瀧口修造(1903-1979)は富山県寒江村の医家に生まれ、進学のため上京しますが、父に続き母も急死したことで医学部進学を断念、慶應義塾大学に入学しても進路を定めることができず、1923年関東大震災を機に大学を中退、嫁いでいた姉を頼って小樽に移住します。小樽時代、瀧口は北辺の地での教師をめざし、また姉とともに、「文房具店兼手芸材料店(島屋)」を開きました。不安と混沌の時代、瀧口が過ごした小樽で、後のシュルレアリスムに繋がる「夢」が醸されていきます。瀧口が再び上京し詩作に没入、詩人・西脇順三郎と運命的な出会いをするのはそれから程ない1926年のことです。
瀧口は復学した慶應義塾大学で西脇順三郎に師事し、西脇を通じてヨーロッパの最新のモダニズム詩と思潮、とりわけシュルレアリスム(超現実主義)に衝撃と強い影響を受け、日本最初のシュルレアリスム作品(詩のアンソロジー)を発表しました。美術においても戦前からシュルレアリスムの積極的な紹介者として知られ、アンドレ・ブルトン「超現実主義と絵画」(1930)の翻訳を、「近代芸術」(1938)、「ダリ」(1939)、「ミロ」(1940)を刊行しています。1950年代以降は自動筆記やデカルコマニーを用い、自らも造形に取り組んだ美術家でもあります。
1958年ヴェネツィアビエンナーレのコミッショナーとして、瀧口は生涯でただ一度きりのヨーロッパ旅行に出かけ、公務を終えてからダリのアトリエを訪問、デュシャンと遭遇し、旅の終わりに「シュルレアリスムの祖」ブルトンとの“長く待たれた再会”を果たしています。
本展ではこのヨーロッパ旅行を瀧口修造の活動における一つの到達点に据え、詩作からシュルレアリスムへ、さらに美術批評へと踏み込んでいく歩みを、詩の発表を始めたと言われる1926
年まで、約30
年間を遡る形で追っていきます。未だ詳らかではない瀧口の小樽時代(前・詩人時代)を検証し、そこから再びシュルレアリスト瀧口の生涯と業績の俯瞰を試みるものです。
平成25年7月8日(月)~7月12日(金)
平成25年9月24日(火)~9月27日(金)
会期/平成25年5月3日~5月4日 10:00~16:00 (終了しました)
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