入替実施日:令和5年7月23日(日)
行神台(ぎょうじんたい)GYŌJIN-TAI
この屋台組一帯が人家のなかった頃、一人の行者が住みつき、やがて人家が建ち並ぶようになったと伝えられる。その徳を偲び、役の行者を祀る屋台にしたと伝えられている。
出入り口は前にあり、戸は開戸で、中段に朱塗り玉垣をめぐらし、上段勾蘭四隅には五鈷(ごこ)を差すという他の屋台とは異なった形態である。
※五鈷―金剛杵(こんごうしょ)の両端が五叉に分かれたもの。
行神台の人形
豊明台(ほうめいたい)HO-MEI-TAI
創建年代は不詳、明治33年から3ヶ年かかって大改修を行い、飛騨の匠の大工、彫師、金具師、塗師などの技術を集中した装飾をほどこしている。
屋台芸術の粋をあつめた絢燗豪華な屋台である。
絢燗豪華な屋台
神馬台(じんまたい)JINMA-TAI
創建年代不詳。明和6年に再建。安政年間に改造され、現在の屋台の素構となっている。白馬と白鳥姿の馬丁2体の人形を取り付けています。中段の紫鱗紋織の大幕に左右側面に2個づつ後面に1個の般若面を大きく刺繍しているのが印象的である。
般若面を立体的に刺繍
神楽台(かぐらたい)KAGURA-TAI
飛騨国主金森重頼の実弟重勝より宝永五年大太鼓の寄進を受け、欄干付の車に大太鼓を載せ、祭礼に巡行したのが起源で、現在も屋台行列の先頭に立ち、大太鼓2人、締太鼓1人、笛2人が祭囃子をはやしながら曳いている。
大太鼓
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