追悼の辞
追悼の辞
7月26日(土)に、袋町公園において、「第48回袋町地区原爆死没者慰霊祭」が執り行われました。学校長の追悼の辞は、次のとおりです。
【学校長 追悼の辞】
広島市の花である夾竹桃が、花の盛りを迎える頃となりました。原爆投下後の広島にいち早く花を咲かせ、人々に復興への希望と勇気を与えた夾竹桃。被爆80年の節目を迎える今年の開花は、世界中で今なお絶えない核の脅威を嘆き、私たち広島市民に「何かできることはないのか。」と強く問いかけてくれているように思えてなりません。
袋町小学校は、広島市の中心部に位置し、モダンな造りを誇る校舎に、子どもたちの明るく元気な声が響き渡っています。私は、ここに通う一人一人の子どもが愛おしく、平和な未来を築く無限の可能性を秘めた大切な存在に思えてなりません。この思いは、80年前原爆が投下された日の本校での悲しい事実に思いを致すとき、より一層強くなるものです。
昭和20年8月6日、袋町小学校では、原子爆弾の炸裂とともに、尊い命が一瞬のうちに奪われました。多くの未来ある子どもたちが、地獄と化した状況の中で、全身に大けがや大やけどを負い、家族を恋しがりながら無残な最期を迎えた事実に胸が張り裂ける思いがいたします。また、亡くなられた先生方は、あの時、袋町小学校で何を見、何を思い、その命を閉じられたのか察するに余りあります。
先日、校長室を訪ねてこられた方がありました。94歳の男性の方です。ご実家は三次市のお寺で、戦時中、袋町から疎開してきた子どもたちを受け入れてくださっていたそうです。疎開してきた子どもたちは、寂しさのあまり夜になると、泣いていたそうです。そのとき、何もしてやれなかったという後悔の念がこの80年間この方の胸の中に残り続けていました。
この方は、子どもたちの寂しさや辛さに寄り添う句を詠み、一冊の歌集をつくられました。その歌集を校長である私に手渡すために訪ねてきてくださったのです。
「広島に戻る度に、袋町小学校の平和資料館に来ています。当時の子どもたちのことが何か分かるのではと思って。縁あって受け入れていた子どもたちに何かできることはないかと思い続けていました。でもこうして、今日この歌集を校長先生に手渡すことができて、長年背負ってきた肩の荷が下りました。ありがとうございます。」
この方は、東京のある大学の名誉教授でいらっしゃいます。現在は東京にお住まいですが、この日は、研究会があり、広島を訪れておられ、袋町小学校に立ち寄ってくださったものです。被爆80年、被爆者はもとより被爆されていない方にも一言では語りつくせない、それぞれの生き方、それぞれの思いがあります。私は、袋町小学校の校長として、この方から大きなバトンを引き継いだように思います。こうした方々との出逢いを大切にし、その心を受け止めていきたいと強く思いました。
袋町小学校は、今後も、新しい時代を担っていく子どもたちに、平和な世界を築いていくための行動力を培い、周りの人々を大切にする心を育むことを教育の基盤としてまいります。
結びに、原子爆弾の犠牲となられた数多くの御霊が安らかなることを心からお祈り申し上げます。今後も、地域の皆様と手を携え、平和教育の充実とその発信のため、不断の努力を重ねることをお誓い申し上げ、追悼の辞とさせていただきます。
令和7年7月26日
広島市立袋町小学校校長 岡田 由佳
【校長室から・エール】 2025-07-28 18:34 up!