「私も声をあげよう、私は絵であげよう」原発地点から14kmの居住制限区域の福島の希望の牧場に行き吉沢さんの話を聞いた2013年の冬、そこから私は「牧場」を描き始めました。
「原発が見える場所で、原発をのろってのろって死んでやる」吉沢さんはお金にならない牛を生かし続け、東京に来て原発反対運動や国会前行動でも声をあげています。
でも誰もが原因に対し声をあげられる状況ではなく、飯館村の細川牧場の細川さんは事故後もずっと居住制限区域で牧場一本の生活をしています。馬が2012年から歩行困難の末バタバタ変死していくのを悲しみ、私が泊まった翌朝も若い馬が死んでしまって、私の事を待っていたかのように死んだ、と言ってくれました。
誰もが顔見知りで自然豊かな果実と飯館牛の村だった、その村をフレコンパックの山にした。陽気な細川さんを暗くした。この罪の重さ、闇の深さははかりしれません。たちこめる被曝の牧場で叫ぶ牧場主、ふんばる牛や馬、この「牧場」を、すべてに負けない思いを込めて描ききりたいです。〈画家 山内若菜〉
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