箱根関所よもやま話? 【関所とは何か】
2013/3/10 [Sun] 9:08
関所の「関」は、もともとは門を閉じる横木である「かんぬき」のことで、そこから「とざす」「防ぐ」という意味をもっています。
つまり本来は防備するところの「敵を防ぐ砦(とりで)」であり、古代(奈良・平安時代)は軍事的なものでした。
※大化改新(645年)時に伊勢(いせ)(三重県)の鈴鹿(すずか)、美濃(みの)(岐阜県)の不破(ふわ)、越前(えちぜん)(福井県)の愛発(あらち)に関所を設置することを定めて、奈良の都を防衛しました。
その後、鎌倉時代の後期から室町時代になると、関銭(通行税)を取る経済的なところとなっていきました。
※鎌倉の円覚寺(えんかくじ)造営のため、1380年箱根芦ノ湖畔の芦川(あしかわ)に関所を置いて、3年間関銭を徴収していました。
鎌倉大蔵(おおくら)稲荷社(いなりしゃ)の修繕のため、1429〜1440年の間、箱根湯本に関所を置いて関銭を徴収していました。
そして、江戸時代になると、「入り鉄砲に出女」と言われる、品物など物流や人の往来を監視し抑制する関所となっていきました。
※箱根関所は初期(1619年頃開設〜1631年)の間については、入り鉄砲の取調べを行っていたようであるが、それ以降は行っていません。
箱根関所をはじめ江戸幕府が設置した50数カ所の関所は、明治2年2月に廃止されました。
現在、人々は全国自由に旅行に出かけることができますが、往時(江戸時代)は、いろいろな制約を受けていました。
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