スポット企画展「没後80年 岩谷山梔子展」開会中
令和6年4月17日(水)~7月8日(月)
岩谷山梔子(本名・健治)は、明治15年10月30日、現在の青森市米町に生まれました。正岡子規が死去した明治35年、肋胸骨カリエスの療養中に子規の著作を読み、その頃から俳句を始めます。翌36年、新聞『日本』の河東碧梧桐選「日本俳句」に初めて選ばれ、以後、碧梧桐の門下で頭角を現わします。その後、京都に移り住み、大谷句仏の俳誌『懸葵』に参加し編集や選にも携わります。大正期に入り、新傾向俳句に進む碧梧桐からは離れ、大須賀乙字に師事しました。昭和に入っても句作を続け、昭和19年1月4日、太平洋戦争さなかの京都で63歳で世を去りました。句集に『山梔子第一句集』(大正13年)があります。
本展は、岩谷山梔子の句稿・句帖・短冊などの直筆資料を中心に展示し、「巧緻洗練」と称された山梔子の俳句の魅力を紹介するものです。
令和6年度「文学忌」
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