最新更新日:2013/08/08
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立秋とは言え、例年のように厳しい残暑が続くようです。冷房に依存しない体調管理が大事です。
校長室から(15)
根性か? 技術か?
根性か? 技術か?
本校の夏季大会のほとんどが先日の吹奏楽部のコンクールで終了しました。残すところラグビー部(9月の開催)だけとなりました。時を同じくして世界水泳がスポーツ番組、新聞で報じられています。先日ある番組でスポーツの根性論についていろんな意見が紹介されていました。「根性で鍛える時代ではない」とか、「根性論は古めかしい」とか、「アメリカでは根性によるスポーツ指導は無い」など根性論はどちらかと言えば否定的でした。さて世界水泳大会を観戦していて、ほんのタッチの差で勝敗が決する場合が珍しくなかったように思います。1秒以内の0コンマ数秒差に優勝から3位までが入るという激戦もありました。このような僅差の勝負をしている選手は水中で状況はある程度わかっているのではないでしょうか。ゴールまでの最後数メートルでデッドヒートを繰り広げる選手を支えるものは一体何なのでしょうか。根性でしょうか、技術でしょうか。根性という言葉に抵抗感があるなら、気持ちの強さ、心の強さと表現すれば良いでしょうか。400m個人メドレーで優勝した瀬戸選手にレース途中まで競った萩野選手は途中で失速したと報じられました。瀬戸選手と萩野選手の違いは何だったのでしょうか。技術でしょうか。根性でしょうか。萩野選手は優勝できなかったことに「悔しい、この悔しさはきっと自分を強くする」と今後の自分への期待を込めたコメントを述べていました。このコメントが全てを表現しているように思います。負けた悔しさを二度と味うことのないように練習を積む、科学的な練習も含めてチャレンジし、自分自身を追い込んで精神的にも技術的にも、強い自分自身を創り上げていく、といコメントのように聞こえました。勝負事には必ず切羽詰まる、極限の場面があります。その極まった場面で通常の自分の力を出すには、技術が欠かせないと元巨人軍監督の川上哲治氏は述べています。その技術獲得には練習量が欠かせません。練習量の保持には心の強さ、気持ちの強さが伴います。スポーツの世界における練習のあり方には、根性論(心や気持ちの持ち方)が大事であるとか、技術論が優先するという、2者択一ではなく、根性と技術が相互に補完しあって向上するという観点が必要に思います。それはスポーツの世界だけでなく、全ての分野の世界に通じるもので、具体的に形に表れやすいのがスポーツです。そこにスポーツの醍醐味というか、スポーツは人生そのものと言われる所以があるように思うのです。今日から甲子園で全国高校野球が始まります。根性か、技術科かで話題になる高校野球ですが、根性と技術が補完し合うという観点で観戦すると、また違った高校野球が見えてくるかもしれません。
【校長室から】 2013-08-08 09:46 up!
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